この記事は、聖マリア・トライアングル 巡拝(1) の続きです。
東京カテドラル教会
地下鉄有楽町線 護国寺駅から 徒歩10分。
一つ目の教会、東京カテドラル教会に14時到着。滞在可能時間は30分間。
それ以上滞在すると、3つの教会を17時までに廻りきれなくなります。
先ずはルルドの泉で、今日ここに来れたことを感謝し、今日無事に廻れることを祈念。
そして、教会内へ。
教会の中には、今まで見たことが無いほどの沢山の人、人、人。
ちょうど、東京大司教主催の「世界病者の日ミサ」が執り行われていました。
「世界病者の日」は 前教皇ヨハネ・パウロ二世の発意によって「2月11日」と
1993年から定められた日だそうです。
教会の場合、信徒で無くてもミサの最中であっても邪魔にならないようにすれば、
端の席に座って話を聞くことができるのですが、
今日は端までびっしり人が座っていますので座れません。
奥のマリア像の席は空いていましたので、ミサの邪魔にならないように、
静かにそーっとマリア像へと向かいます。
マリア像の前に設置されている椅子に座り荷物を置いた頃、賛美歌が始まり、
それに合わせるように 涙が一気に溢れだしてきて、びっくり (汗)。
讃美歌の音,司教の声の音は
細かい霧のような波動(エネルギー)となって私の体に押し寄せ、私を包みます。
その感覚は、凄くリアルで。。。 こんな体験、初めてです。
前回来た時も献堂記念ミサの最中で讃美歌も唱歌されていましたが、
その時はこんな感覚はありませんでした。神社でもこんな体験したことがありません。
そして、その波動(エネルギー)に合わせるかのごとく、
私は肩を震わせ、しゃくりあげる声を押し殺しながら激しく泣き続けて。
泣いている間、喜怒哀楽や癒し,慈悲など感情・感覚は一切無く、
何故泣いているのか、自分でも分かりませんでした。
ただ明らかに、私の中で第三者では無く 『私』が激しく泣いていました。
「私の中で第三者が泣く」という体験は先日「悲しみ入りのお茶」で体験済みで、
それとは明らかに異なります。
10分くらい泣いていたのかなぁ? 泣きやんでからも暫く息が乱れていました。
それくらい、体の底から泣きました。
東京カテドラル教会に来たのは 今日で5回目ですが、
これ程までに強くエネルギーを感じたのは初めてです。
去年来た時(1回目)は「いい所だなぁ~」なんて、観光客気分でしたが。
1年間経過して、ちょっとは感受性が高まったかな?
—
時計を見ると、神田教会へ向かうのにちょうど良い時刻になっていたので、
献金をし、お言葉を一つ頂戴し。
今日は節約ルートを使わず、時短ルートで神田教会へ向かいます...。
慌てていて写真を撮り忘れたので。
これは一年前の2月11日に撮影した東京カテドラル教会です。
(この記事は、聖マリア・トライアングル 巡拝(3) に続きます。)