近況(8/10):猫爺、召される

ブログの更新は 2週間ぶりです。

この2週間、色々ありまして、ブログが書けませんでした。

先週。8月2日土曜日(旧七夕の日)。

我が家の17歳6ヶ月の老猫さんが天国に帰って行きまして。

その後、ちょっと腑抜けな状態です。

心臓病でいつ逝ってもおかしくない状態が約5年。

薬を貰い続け、毎日飲ませ続け、

全くご飯を食べない数日が年に2回くらいあり、

その度に体重が減り、体重を戻す努力をし、食べ物に気を使い、

心臓への負担を気遣い室温管理し、

時々トイレ以外でやってしまうチーやウンの片付けもしつつ。

そんな生活が約 5年続きました。

今年に入り、両目を失明し、白内障と緑内障も罹り、

徐々に徐々に、体重が減り、足腰弱りトボトボ歩きからヨロヨロ歩きになり。

3週間前から明らかに様子がおかしく、

「今日か?明日か?」などとハラハラしつつ、

「彼にとっての快適な最後の暮らしは何か?」を考え毎日環境を改善し、

そんな生活が先週、終わりました。

それで、腑抜けです。

瞼を閉じる力も開ける力も無い程、衰弱してもなお生きている猫爺の姿に、

立つことも寝返りを打つこともままならないのに、

それでも20cm離れた水飲み場に行こうと這いつくばって行こうとする姿に、

「もういいから。帰っていいから。大丈夫だから。」と何度言ったことか。

葬儀場の係りの人が、「枯れるまで生きたんですね」というほどに痩せ細り、

彼の最期は、冬の木の落ちそうで落ちない枯れ葉のようでした。

彼はなにゆえ、あそこまで生き抜いたのか。

それを、つい考えてしまいます。

考えても、答えは出ないって分かっているんですけどね。

出来ること・思いつくことは全部したので悔いもないです。

だけど一方で、「何か他に出来ることがあったんじゃないか?」って

自分の中で犯人探しをしようとしている自分がいるので、

これは要注意ですね。

彼の死を受け入れる覚悟をするには充分の時間をくれましたから、

悲しい、寂しいという気持ちはありません。

支えが無くなったというより、張りつめた糸が切れた感じかな。

集中力が続きません(笑)。仕事が全然進みません(笑)。

これも、ペットロスの一種なのかな?

という感じで、ペースが戻るには、もう少し先になりそうです。

この間、無料鑑定のご依頼を下さった方々へのご回答が遅くなり、

申し訳ありませんでした。あと数名分、ご回答できておりませんが、

もう暫くお待ちいただきたく、よろしくお願いいたしますm(_ _)m。

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