人の感情をエネルギーとして感じる。
その強烈な初めての体験は、
それと知らず大事故現場に近づいた時のことでした。
その場に近づくにつれ、悲しみが増し、
よく分からないけれど、とにかく悲して悲しくて、
とてつもなく悲しくて、こらえていたけど遂に嗚咽泣き。
何故悲しいのか全く分からないのだけど
とにかく涙が勝手に出てきて、
その悲しみは 人目をはばからず嗚咽する程。。。
後でわかったことですが、
その場所はその数ヶ月前にニュースで大々的に報じられた
ある衝撃的な大事故の発生現場でした。
私が感じ取った感情は、
そこに残された遺族の強い悲しみの感情 エネルギーでした。
人の感情をエネルギーとして感じる傾向は
2年前から特に上がったようです。
それに気付いたのは、
昨年京都の比叡山 無動寺明王堂に行った時。
それは千日回峰行の堂入りの最中で、
9日間の断食・断水・断眠・断臥が行われている最中(確か5日目)でした。
明王堂へと続くその急な下り坂には、
堂入を見送る人々の感情がエネルギーとして所々に残っていて、
そのエネルギーに触れる度に、
その人々の感情を自分の感情の様に実感する体験でした。
そして、堂出の時刻。それは、自宅で寝ようとしていた時のこと。
その場と意識が繋がってしまい、
それを見守る人々のプラスとマイナス、陰と陽、明と暗の様々な
強い強い感情エネルギーと繋がってしまい、
プラスとマイナス、陰と陽、明と暗の強い感情を同時に感じてしまい
私が感情がひっちゃかめっちゃかな混乱状態に。。。
その混乱状態から抜け出すために、
ヒーラーさんの助けをお借りする事態になりました。
数日後、意識的に、明王堂 周辺のエネルギーを感じて見たら、
そこには、ある種の感情エネルギーだけが
まだ根強く残っていました。
それらの感情の発生源である方々は、
その感情をそこに残しておこうとか、そこへ飛ばそうとか
そこに自分の放った感情があるとは、思っていないはずです。
でも、確かにそこには、その時放った感情が、
あるいは今も抱き続けている感情が、エネルギーとして留まっていて
そのエネルギーを感じるアンテナがスイッチオンになっている人には
感じ取れてしまうのです。
お祭りの場が楽しく感じられるのは、皆がウキウキ ワクワクの
感情エネルギーを発散しているから。
秩父の夜祭みたいに観光化しているお祭りよりも、
地元の人たちの氏子祭りの方が
ウキウキ ワクワクエネルギーが強いように思います。
例えば、秩父の小鹿野の春まつりは、
氏子も土地も神様も喜んでいる感じがあって、
浮足立ってしまう感じのウキウキ エネルギーで大好き。
荒川の素盞雄神社の天王祭は
力強さと浮足立ってしまう感じのエネルギーがいいですよー。
数年前、
明治神宮の『清正の井戸』がパワースポットとして話題になりましたが、
その水は、話題になる前から
スピリチュアリストの間ではクリアな水として知られていたそうです。
しかし、話題になってから、その水を使わなくなったそうです。
なぜなら、そこに訪れる人々の様々な強い思いがエネルギーとなって。。。
この頃、思うようになってきました。
人のことを悪く思っていると、
無意識に攻撃エネルギーを発してしまう可能性があるから
気をつけよう! って。
そして、今までアファメーションとか 引き寄せの法則とか
あまり信じていませんでしたが、
ただ願うだけでなく、
それが叶った時の喜びの感情を強く描き疑似体験すれば、
エネルギーは放たれ、
類は友を呼ぶ、ではありませんが
「自分が放つエネルギーによって、生き方を変えていけるのかもしれない。」
最近、そんなふうに思うようになってきました。
スピの意外な効能かもしれません