私が片付けが出来ない理由

今日は、ダークな一面を記事にします。

やっと表に出せるようになったみたいだから。。。

多分、浄化のプロセスに入ったんだと思います。

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最近、週末に住まいの片づけをしています。

散らかし放題に散らかしていたので、一朝一夕には片付きません(^^;

疲れて「片づけなんて、もうイヤ!!」とならないように、ほどほどに進めています(^^;

片づけるという行為は不思議なもので、片付けをしていると内観というか俯瞰というか、自分に向き合い自分に気づく時間へと変わっていきます。

先日、片づけをしていて気付いた 「私が片付けが出来ない理由」について、書き留めておきたいと思います。

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私、片付けが出来ない子供でした。

小学生になっても片付けができない子でね。

母は、そんな散らかった状況が許せなかったのか、散らかす私が許せなかったのか。

言葉だけでなく、手や物を振りかざして、目を吊り上げて色々と痛い思いさせて 「片付けさせよう。片づけを覚えさせよう」と日々、頑張っていました。

体には時々アザが出来たけど、でも、片付けができるようにはなりませんでした。

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大人になって、片づけをしていている時に必ず思い出す子供の頃の光景があります。

それは、脇にゴミ袋を置いて、母に怒鳴られながら、叩かれながら、泣きながら、片づけをしている子供の頃の私。

私の脇には、棒を持って仁王立ちして、怒鳴り声をあげる母。

そこはしまう場所じゃないでしょ!

どうしてそんな物、取っておくの!

それは捨てなさい!

そんな捨て方しないの!

紙は丸めないで千切って捨てなさい!かさばるじゃないの!

そこじゃないでしょ、置く場所は!

畳み方が違うでしょ!

並べ方が悪い!

どうして覚えられないの!

どうして何度やってもできないの!

××ちゃん(妹)はできるのに!

でも、その時の光景を思い出しても、そこに少しの感情もなく、「そういえば、あんなこともあったなー。こんなこともあったよねー」という感じで、結構淡々と思い出していました。

だから、大して気にしていなかったんだけど。

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先週、片付けをしていた時、そんな思い出と共になぜか、感情と涙が。。。

感情と涙が出てきたのは、初めてのことでした。

悲しかった気持ち。

悔しかった気持ち。

惨めな気持ち。

自責の思い。

そして、ボロボロと流れる涙。。。

あぁ、これか。。。

これに接したくなかったんだ。。。 (T_T)

片付けるという行為=これらの感情の記憶。

だから、片付けたくなかったのね。

辛い記憶を思い出したくなかったのね。

思い出すとしても、それは映像だけで、感情だけは絶対に思い出さないようにして、心の奥底にしまって頑張っていたんだわ。

そんなことを、先日の片づけの際に気づきました。

さて、この記憶とどう向き合いますか。

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以前、何かで読んだことがあります。

人は耐えられないほどの辛い記憶、思い出したくない記憶を、書き換えて美化させて記憶したり、潜在意識の奥深くにしまい込んで忘れたことにしちゃうんだそうです。

そして何もなかったように、今日を明日を生きていく。

そうじゃないと、辛くて生きていけないから。

これは生きていくための防衛策。

でもね、それを今、思い出したということは、多分きっと、それを浄化できる時期が来た、ということ。

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「なぜ片付けなきゃいけないのか分からない。」

2012年8月。断捨離セミナーに行った際、やましたひでこさんにそんな質問を直接したことがあります。

やましたひでこさんの答えは、

「親が(あなたを)認めてくれなくて。(だから)親が一番(沢山)言っていたことに反抗することで抵抗してるんです。」

「大丈夫。それが解消すれば、片付けられるようになるから大丈夫よ(笑)」

「親に認めてもらおうと思わなくていいの。自分はこうありたい、こうしたい、と思うことを見つめてそれを自分で受け入れてあげれば 大丈夫よ(笑)」

「親もね、あなたに良かれと思って色々言ったと思うのね。だけど、それは親の価値観で、あなたの価値観とは違ってね。あなたは認めてほしかったのよね(笑)。」

というものでした。

この時のやましたひでこさんの言葉も、片付けをする時 毎回必ず思い出していましたが、「反抗して」という言葉だけが腑に落ちていませんでした。

反抗してというより、過去の記憶と重なるから、それがイヤだったのね。

腑に落ちました。

さて、この記憶とどう向き合い、どう浄化していきますかね。

考えていてもきっと答えは出ない。。。

とりあえず、片付けを進めていきましょ(^^♪

前進あるのみ\(^o^)/

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