今日は1月2日。正月ぐらい穏やかに過ごしたいのに、
目覚めて早々、子どもの頃の母との会話を思い出し心に嵐が吹き荒れています。
(読んだ後ブルーになるかもしれませんので、嫌な方はこれ以上読まないでくださいね。)
その会話で母から発せられた言葉に私は非常に傷つき、
今でも「自己否定」という形で私に影を落としています。
何かマイナスの出来事が起こると、「どうせ。やっぱり。別に。所詮。」と
自分をマイナスの原因にしてしまいます。
「言葉をどう受け止めるか。出来事をどう受け止めるか。それは受け手の問題だ。」
そんな風に言う人もいます。仏教でも、似たようなことを言っています。
確かに一理ありますが、
それって、いじめる側の論理に似ていると思うのですが、いかがでしょうか。
いじめる側は言います、「そんなつもりはなかった。ちょっと からかっただけ」と。
あの時の母は、「どうして私を産んだの?」という私の質問に
正直に答えただけだと思います。
その後、血のにじむ苦労をしながらしっかり育ててくれましたから
親としての責任をしっかり果たし、私も母に感謝してますけど、
もし私がいなかったらあんな苦労しないで済んだんだろうなぁ、という思いは
今も消えません。
人は、産まれてからどんな人生を歩むのか決めてから産まれてくる。
辛いことも悲しいことも、あの世では体験できない出来ごとで、
そのことを含めて色々体験する為に産まれてくる。
そんな話を聞いたことがあります。
産まれてくる時、親を選んで生まれてくる。
そんな話も聞いたことがあります。
母は、血がにじむような人生を歩む計画を立てて産まれてきたのでしょうか。
(世界的奇病で人生を終え、臓器は標本になってしまいました。)
私も、母の一言を引きずり、自己否定しながら生を全うするという計画を立てて
産まれてきたのでしょうか。
ハハハっ、結構大変な人生ですが、それをとことん体験すれば終わるのかな?(笑)。
ところで、昨日、レンタルショップでなんとなく借りてきたDVD 「アジャストメント」。
ストーリも知らず、「マット・デイモン出てるし、多分アクションサスペンスね!」と思って
借りてきましたが。
ストーリは、
「『議長』が人間の人生を設定しその人生から逸れそうになった人は『軌道修正』が掛けられて自分では人生を選択できない世界。 そこでマット・デイモンは、人生からちょっと逸れた地点で出会った女性に一目惚れし彼女と結ばれる為に軌道修正から脱げ抜いて、最終的に『議長』がその女性と結ばれることを承諾し人生設定を書きかえました。」という
ハッピーエンドな話でした。
映画からは、自分の人生は自分で変えられる。
そんなメッセージを感じました...??
そういうことですか
自己否定の人生から、自己肯定の人生に変えられる
人生何が起きても、「どうせ。やっぱり。所詮」 と諦めモードの私から脱皮するには
どうすれば。。。?
自分をもてなすことができず、何事も他人軸で考えているような私が、
自己肯定できるようになるには、どうすればいいのだろう。。。