今日、思ったこと。それは、
走ったり、登ったり。
これって、動的瞑想が目的なのかもしれない!
ってこと。
暫く休んでいたヨガも、今年4月からボチボチ再開しました。
走っている最中(せいぜい5分)。ヨガの最中(せいぜい1時間)。
完全に無になります。無になっています。
登っている最中、ほとんどが完全なる無の時間です。
そして下山後は、疲れ果てて、無の状態が続きます。
そのことに、今日、気付きました。
テーラワーダ仏教(上座仏教)にはヴィッパサナー瞑想というのがあります。
ヴィッパサナー瞑想は、現在の瞬間を捉え続けることによって妄想を捨てていく技法です。
人はいつでも過去か未来のことで頭をいっぱいにしながら生きています。
雑念・妄想はどうにも止まらないのです。
ところが、一瞬々々の現在に心を釘づけにしていくと、その妄想が止まるのです。
引用元: http://www.satisati.jp/2page.htm
私の場合、ジーッと座って瞑想しよう(無になろう)としても、
音が気になり、過去が気になり、未来も気になり、雑念の花が次々咲き続けます。
けれど、走っている最中、登っている最中、ヨガの最中は、
心が「今・現在」に釘づけになっています。
頭は体を動かすことに精一杯で、雑念を考える暇などありません。
動的瞑想。今はこれが必要ってことでしょうかね…