行き過ぎた個人主義と行き過ぎたグローバル化

久しぶりのブログ書き。

毎年のことですが、3月下旬~5月が私にとって最も忙しい時期。

私のテレワークはどこへやら。

あっという間に、5月に突入しました。

連休で一息ついて、今日は気ままにブログ記事を書いてみたいと思います。

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今、全世界的に取り組んでいる 新型コロナウィルスのパンデミック対策。

1月に新型コロナウイルスのニューズが流れ始めて。

SARSやエボラ出血熱の時は 全然 他人事でしたが「今回はちょっとやばいのかな?」。

そんな気がしました。


毎日流れるニュースを見て、時々感じていたのは

「これ、スピ的に仕掛けられていたトリガーなんじゃないかな?」ってことです。

そんな風に感じたのは、3月上旬のこと。

それは漠然とした感覚で、上手く言葉にできなくて。

ただ何となくモヤモヤっと

「世界が変わる。人の価値観が変わるんだ」。

そう感じていました。

その感覚はすぐに忘れるんだけど、ニュースを見ていていると時々、

「あぁ、やっぱり、トリガーが起動して、価値観が問われているんだわ」

という感覚が蘇って。

これはある条件が揃ったことで発生して、

人々に価値観を問い、向かう方向(進む未来)を決めさせる為に、

起きている出来事なんじゃないかと感じ。

その感覚を忘れては思い出し、忘れては思い出しを繰り返しているうちに、

なんとなくトリガー起動の条件が見えてきました。

それは

『行き過ぎた個人主義と行き過ぎたグローバル化』

このまま、突き進みますか?それとも、方向転換しますか?

そんなことを問われている気がします。

上手く表現できないのですが、

行き過ぎた個人主義

・個人の権利の主張し過ぎ
・他者への無関心

協調性の希薄

行き過ぎたグローバル化は、

・境界が無くなり過ぎたことによる
役割分担という名の、放棄し過ぎと依存しすぎ

生き物の営みのサイクルからズレ過ぎ

それは、自然な軌道修正では対処できない程 本来の状態からズレてしまって、

このまま進めば、崩壊や破滅になりかねない状態で、

そうならないために、ギリギリのところで強制的に

世界中が意識改革せざるを得ない状況が発生したという感じ。

そして、何故だか、最終的に結果的に、

その意識改革に日本人の価値観とか行動とか何かが

影響を及ぼすような気がしてならないのです。

『行き過ぎた個人主義と行き過ぎたグローバル化』

他人の権利を侵害することなく、自分も自由に。

人としての営みを忘れず、協調しあって生きる。

新型コロナウィルスのパンデミックが終息を迎えるころ、

世の中の価値観は大きく変わっているのかもしれません。

いや、革新が起きないといけないんだと思います。

その時、私はこの世にいるのかな?

ワカリマセン。。。

今は、今できることをして、

人から感染しないように、人に感染させないように、行動あるのみ。

どんな未来が来るのかな?