9/18(土)、台風が関東を通過するという天気予報が出ている日に、強引に呼ばれて根負けして、三峯神社へ行ってきました。
行ってみて 何となく 呼ばれた理由が分かりました。
今回の呼び出しは「参拝客が少ない日である」ということが大前提だったようです。
その備忘録を書いておきます。
今日までの三峯神社との関わり
2011年
初めて 三峯神社を知り
初めて 三峯神社に行き
2012年
初めて 三峯神社 奥宮へ行き
2016年
三峯神社との とあるご縁を賜り(A)
2020年(昨年)
三峯神社の某所をヒーリング(B)
ざっくりと、こんな感じです。
これ以外にも、何度も何度も 三峯神社に行っています。
今回、三峯神社で起きた出来事
書かないでと言われているので ここには具体的に書けませんが、今回の三峯神社では、前述の(A)と(B)が無ければ起きない出来事が、三峯神社で起きました。
それは、参拝客が多い日だったら実現が難しい出来事でした。
けれど、体験すべきことでした。
『チャンスだから今日おいで!』ということだったんだと思います。
近年、三峯神社に行く回数が減っていますが、今回の出来事で、改めて 三峯神社とのご縁を感じた次第です。
呼ばれる理由が分からない理由
三峯神社に限ったことではありませんが、神社に呼ばれた場合、予めその理由が分かった例(ためし)がありません。
呼ばれているという感覚的は、
行きたいとか行きたくないとかそういう感情は二の次で
「今、親が救急車で運ばれたって連絡来たから、とにかく今から病院に行ってみる!」みたいに
「居ても立っても立ってもいられないから、行ってくる!」
という感覚に似ています。
それと同時に、
「どうしてこんな感覚になるのかな。
行きたくないな。面倒くさいかな。
意味の無いことにお金を無駄遣いしたくないな。」
と思うわけです。
一説によると、予め呼ばれている理由が分かると、
その「理由」は自分にとって価値あることなのか?それとも価値の無いことなのか?
と、人間の狭い感性で判断して、行く行かないを人間が勝手に判断してしまう。
だから「訳も分からず呼ばれる」という状況を作り出す、という話もあって。
もしかしたら、「理由が分からなくても、来るか?」と試されているのかもしれません。
呼ばれた理由は数年後に分かるかも
今回の三峯神社 参拝で、
「(呼ばれるって)なるほど
こういうことなのかぁ。。。」と、
何となく理解出来た感じです。
一つ一つの出来事は偶然で片付く話なのですが、「偶然が偶然を呼び、更に偶然を呼び… 」といくつもつながると、
仕組まれた とか これが必然 とか、そう考えざるを得ない状況になってきます。
それが分かるようになるのが、数年後。
結果論として見えてくる感じです。
この10年間、
社会科が超苦手、暗記が超苦手の私が、なんとなく呼ばれて促されて各地の神社仏閣を参拝しましたが、その共通点に気付いた時は驚きました。
まるで、下調べをして参拝場所を選んでいるかのような、共通点がありました。
それに気づいたのはスピを初めて10年目。去年の後半です。
その共通点を “偶然” の一言で片付けるには、あまりにも無理があります。
呼ばれずに三峯神社に行くと…
実は、今年は5月にも三峯神社に行っています。
この時は、スピ友のお供でした。
「お供せよ」とか「一緒においで」みたいにお上から言われたわけでなく、半ば押しかけ同行。
スピ友も「一人じゃなくてもいいみたいだから、(来ても)いいよ」と言ってくれて、同行しました。
つまり、呼ばれてもないのに三峯神社に行ったわけです。
で、三峯神社はどうだったか?というと。。。
三峯神社は単なる観光地 でした (^^;
私のアンテナが閉じてたのか、そもそも 飛んで来なかったのか 分かりませんが、三峯神社の境内を歩いていても 何も感じないんです。
「呼ばれていない時って、こんな感じなんだぁ。」
とても新鮮な驚きと発見でした。
期せずして、とても貴重な体験をさせてもらいました。
あとがき
三峯神社とのご縁、やっぱり深いんだぁ。。。
今回の三峯神社 参拝でつくづく そう実感しました。
実際には、三峯神社というより、三峰、修験、山岳信仰。
それに続く、秩父、お犬様、観音、不動尊、曼荼羅 etc…
「神社なのに、なぜか”寺院系”」という、なんとも不思議なつながりです(^^;
そのつながりは、この秋に更に濃くなるようです。。。
※ 三峯と三峰は意識して使い分けています。
▼三峯神社に強引に呼ばれた時の記事はコチラ
▼9/18(土) 三峯神社 参拝の記録はコチラ