巷には「願えば叶う!」といった内容の本がたくさんあります。
最近なんだか、そういった類の本を立て続けに手にして読んでいます。
で、思ったのが、そういえば確かに願いは叶っているんじゃないかってこと!?
今日はそのことを書いておこうと思います。
「引き寄せの法則」と「新月のお願い」で願いは叶った?
以前、「引き寄せの法則」や「新月のお願い」というのが流行りましたが、これも「願えば叶う!」系の話で、当時、私も読みました。
色々引き寄せたくて、あれこれ叶えたくてね(^^)
◆ 引き寄せの法則
引き寄せの法則は全然理解できなくて、何冊も買って何とか理解しようとしたけれど、全然腑に落ちなくて、まるで他人事。
ていうか、読んでいてつっかえちゃって、全然読み進めることが出来なくてね。
読んだときが、時期尚早だったのか? 私には難しかったみたい(^^;
今読めばわかるのかな?
ともかく、高い本を何冊も買ったのに無駄になっちゃった!という印象しか残ってないのです(^^;
◆新月のお願い
新月のお願いも数回挑戦してみましたけど、なんだかおままごとしているみたいでね。
しっくりこなくて止めてしまいました。
結局、法則だとか新月とかに関わらず、叶う願いは叶うし、叶わない願いは叶わない!
そんな印象しか私には残りませんでした(^^;
無意識的に集まってきた「願えば叶う」系の本たち
「引き寄せの法則」も「新月のお願い」も実感わかなくて「願えば叶う」なんてことに頼ろうとしていなかった私ですが、
最近、気付けば結果的にそういう内容の本ばかり読んでいます。
そういう内容だと知らずに読んだらそうだったとか、
「今読んでいる本、面白いから読んでみて」と人がくれた本がそういう本だったとか。
そんな感じで、次々読んでいます。
願えば叶うってホントなの?
で、最近「願えば叶う」系の本を読んでいて気付いたのが、『よくよく考えてみると、この10年間で、3つの願い事が叶っているじゃん♪』って話です。
具体的な話は控えますが、この10年間で叶った願いは以下の3つ。
- 叶わなければ路頭に迷うレベルの願い事。
- 「白馬の王子様」じゃないけれど、こんな人と出会いたい!という願い事。
- 「○○○のxxxな人とお知り合いになりたい」という願い事。
これらの願いを掲げた時は、成就の糸口がまったくない無い状態でした。
だから「ああすれば、こうすれば」なんて作戦を練ることさえもできない状態で。
それが、あれよあれよと知らぬ間につながって、結果的に願いが叶ったのです。
もちろん、叶わなかった願い事もあります。
たとえば、『今度こそ、ジャンボ宝くじの1等が当たる』とかね(^^♪
でも、まったく縁がなかった願い事が3つも叶ってるって、凄いことだと思うんです。
『叶った願い』と『叶わなかった願い』の違い
何をどう努力したら叶うのかまったく分からない状況で始めた願い事。
どちらも同じはずなのに、どうして叶ったり叶わなかったりしてるのか。
自分なりに色々と、違いを考えてみました。
叶った願いとは「不安のない願い」
この10年間で叶った願いは、2つに分ける出来ます。
1.その選択肢以外考えられない必死の願い
それは、2010年頃。
まだ私がスピの世界を知る前の話です。
この時は本当に切羽詰まった状況で、その願いが叶ってくれないと路頭に迷う状況でした。
だから、叶わなかったときのことは一切考えずに、叶った時のことだけを考えて。
毎日毎日神社に通って必死に必死に神頼みしてました。
本気度を示すために、毎日、多くのお賽銭を納めてね。
で、無事に願いは叶いました。
当時、TVで時の人だったスピリチュアルカウンセラーの江原さんの話はある程度信じていましたが、「パワースポットで運気上昇!」という話はインチキ臭いと思って観ていた頃の話です。
2.楽しい状況しか考えられなかった願い
この時は、もしこんな人と出会えたら、あんな楽しいこと、こんな楽しいことがあって、というイメージしか思い浮かばなくて。
どうしたらそんな人と出会えるのか、まったくわからなかったけれど、
「そんな出会い、あるわけないかぁ」なんていう不安なイメージが一切ありませんでした。
叶わなかった願いとは「不安がよぎる願い」
一方で、宝くじ1等の当選の願いは、まだ叶っていません(^^;
願えば叶うと言われても、宝くじ当選の場合、どうしても
「今まで当たらなかったしねー。今回もどうかなぁ。。。」なんて否定的というか
「当たらないかも」という不安なイメージが、どうしても付きまとってしまいます。
他にも、「でも、ひょっとしたら」と不安がよぎった願い事は、叶っていません。
というか、不安的中という事態になっている感じ(・_・!
不安もオーダー、願いもオーダー
「願いが叶う」系の本には、著者が違うのにアプローチも違うのに、似たような部分があります。
たとえば、
不安や心配、否定などのネガティブ要素を思い浮かべると、そのネガティブ要素が叶う方向に物事が進み、
肯定的なポジティブな要素を思い浮かべると、そのポジティブな要素が叶う方向に物事が進む。
という話。
某る本には
と書かれておりました。
つまり、それは、
という話。
この話、私の受け止め方はそれとはちょっと違っていて、
だから、
不安や心配、否定などのネガティブイメージばかりだと、そちらのイメージが実現しちゃう!
不安的中ってことになりかねない。
でも、そんな時は、
ネガティブイメージを20回浮かべると、地下に向かって階段を20段下りつづけ、願いを叶えるためにはまずは地上に上がらないと行けなくて、地上に上がるためにポジティブイメージを20回思い浮かべる必要があって。
そのあと、地上に上がってから、更にポジティブイメージを思い浮かべて階段を上がり続けることで願いに近づき、願いが叶う。
という感じ。
遠回りになるけど、叶わないよりイイよね(^^♪
ネガティブイメージ 取り消しのおまじない
自己肯定感の低い人は、ネガティブなイメージを抱きやすくて、私もその一人だと思っています。
そんな人に効くおまじない言葉が「ありがとう」と「感謝してます」。
私も、時々つぶやいたり、心でささやいています。
黙っていても仕事していてもネガティブなイメージしか湧いてこない時は、それを打ち消すように、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」って心の中で言っています。
そんなんしてたら仕事に集中できないんだけど、どっちにしたって、仕事に集中していないんですから(笑)
挽回のおまじないをつぶやいている方が、いいんじゃなぁい~(^^♪
言い続けていたら、以前より自己肯定感が上がってきた感じもあって、一石二鳥な感じです。
正しく願えば何でも叶う!?
ここまで書いてきて思ったのが
ネガティブイメージを一切抱かなければ、願いは何でも叶うのか?
って話。
これは様々な本を読んで感じたことで、実感はないのですが、
結論から言っちゃうと、
当人にとって 適切でない道へと進む願いは、叶いにくいみたいです。
学びのために、わき道に逸れるための願いが叶うということはあるようですけどね(^^;
それから、
他人をコントロールするような願いも、叶いにくいみたいです。
そりゃそうですよね。そんな願いの標的になった時のことを考えたら、そんな願いを叶えられたらたまったもんじゃないと思いませんか?
「私、絶対に失敗しないので」
危機管理じゃないけれど、色々な願い事を考える時、つい、最悪の事態になった時のことも視野に入れて色々考えてしまう傾向があります。
そうしておけば、最悪の事態になった時、ショックが少なくて済みますからね。
たとえば、異性に告白して、Yesと答えてもらえることしか考えていなくて、Noを言われた時のショックは、はかり知れません(^^;
一方で、3割の確率でYesかも なんて考えていて、Noを言われても、やっぱりそうか。。。とショックは少なくて済みます。
でもね。この『伏線を張る思考』が、お願い成就を遠ざけている。
そんな気がします。
これ、大人気ドラマ「ドクター X」の主人公の決め台詞。
これは、主人公が自分の実績を誇るセリフの様に聞こえますが、実はそうでなくて、自分に言い聞かせているセリフ。
医者には手術に対して前回とか次回とかという概念があるけれど、患者には前回とか次回とかいう概念はなく今回という概念のみ。
だから、医者である私は患者のために手術を毎回成功させなければならないという強い意志で手術に臨むという、主人公の決意表明。
失敗するという概念を全部吹き飛ばして、成功することしか考えず、結果的に成功を引き寄せているという話。
まぁ、フィクションの話ですけどね。
でも、「願いは叶う」ってそういう話のような気がします。
願いは叶うは、多分 事実
色々書きましたが。
願いは叶うんだと思います。
但し、願い方次第。
そして、その人の道に適しているかどうかがポイントのような気がします。
果たして、ジャンボ宝くじの1等が当たることが私の道に適しているのか???
疑っちゃいけませんね。
「私、ジャンボ宝くじの1等が当たって、幸せですから!」
これからはこれで行きましょう(^^♪
でも、当たらなくても、当たらないのが私にとってきっと幸せ。
おっと、その思考は不要ですね。
まだまだ、修行が必要のようです。